僕の建築

 

イメージをリメイクする建築には全く興味がない。自らのイメージを超える建築をずっと模索してきた。今、理想とするのは、完璧な機能と自然(じねん)が調和する建築。そこに豊かさと普遍性があると確信している。
僕にとって建築の機能とは、安全、安心、便利、快適を担う必要条件であり、五感で感じるものすべてのことである。だからディティールにこだわる。誰かの亜流に見えるデザインも、その時のベストであれば躊躇はない。僕のプランが素っ気ないほどシンプルなのは、機能が何よりも優先するからである。
自然(じねん)とは、nature のことではない。古くから仏教用語としてある無為、無意識、ありのままであることをいう。今ここでいう自然(じねん)は、自然環境や自然素材、現場で起こる偶発性、職人の無意識などのことである。
僕は、人の五感と建築との接点を機能と捉え、合理的に設計する。しかし、機能的であろうとすればするほど、自然(じねん)とは、相容れなくなる。そこで留まってしまえば、建築はイメージを超えない。それは僕にとって全く魅力のない建築だ。そんな時僕は、自然(じねん)に委ねる。でも、それはとても怖いことだ。その怖さを減らす手段は、2つしかない。ひとつは、技術や知見を高めることと。もうひとつは、施主からの揺るぎない信頼を得ることだ。どんなに優れた技術や知見があったとしても、施主からの信頼がなければ、武器を持たない兵士と同じだ。だから、僕は自然(じねん)と対峙する前に周到な準備をする。