感覚を信じられる建築

 私たちは、情報という終わりのないウンテイ遊びをしているようだ。次々とアップデートされる情報を握り締め、古くなれば手放す。情報は新陳代謝するわけではなく、違うものと入れ替わっていくだけである。古くなったものは、その場に留まったまま死に体をさらす。情報が優越する社会では、不変である情報が実在になっていて、絶えず変化していくこの現実世界が実在を失っている。感覚を信じずに意識をフル回転させ情報のみを見て、意味のあるものとないものを選別し続けている。そして、自分が分からないものを意味のないものとして排除する。
 近代以降、モダニズム建築はその旗頭として意味を問い続けてきた。しかし、いつか感覚を信じられる建築が求められる時代が来ると思う。機能だけが意味であり、他は全て意味のないもので作る。徹底的に人に寄り添い、自らの感覚を信じる。それが私の建築である。