デザインという違和感

最近、意味とか意識について考えていたら、今までデザインという言葉に感じていた違和感を理解することができた。それはこの言葉には、常に価値とか意味がつきまとい、常に共有願望をはらんでいるからだ。世界中を幸せにするデザインは素晴らしいと思う。また、便利でカッコいいデザインも良いと思う。しかし、愛するペットの存在を他人と共有できないように、私の建築もそうでありたいと思う。私が出来ることは、目の前のクライアントの幸せを願いつつ、自らの感性を信じ建築を作ることである。